国際日付変更線の不思議|その位置、形状、変更の可能性について

国際日付変更線の不思議:その位置、形状、変更の可能性について 雑学・豆知識

海外旅行の際、特定のエリアを通過すると国際日付変更線を越えることがあります。

特に初めて海外へ行く人には、日付変更線がもたらす日付の変化が混乱を招くことがあります。

この記事では、国際日付変更線が具体的にどこに位置しているのか、その重要性、そしてなぜこの線が直線ではなく曲線を描いているのかについて解説します。

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国際日付変更線とは?

国際日付変更線は、南北に伸びる想定上の線で、太平洋を縦断しています。

太平洋

この線は物理的に海に引かれているわけではなく、便宜上設定された仮想の線です。

この線を西から東に越える際は日付を1日遅らせ、東から西に越える際は1日進めます

例えば、日本からアメリカへ航空機で向かう場合、この線を西から東に渡るので、日付を1日戻します。

逆にアメリカから日本へ向かう場合は、東から西に線を渡るため、日付を1日進めます。

英語では、この線のことを「the international date line」と称しています。

国際日付変更線の位置について

国際日付変更線は、太平洋上の経度180度の線に沿って設定されています。

この線の位置は、イギリスのグリニッジ天文台を通る経度0度の本初子午線を基準として決められています。

つまり、地球の反対側、経度180度の地点が国際日付変更線となっています。

日付変更線を超えた時の時差の影響

国際日付変更線は、文字通り日付が変わる場所ですが、これは時差とは直接関係ありません

日付変更線を越えた際の時差は、その地点の経度によって決まります。

例えば、東京とハワイのホノルルの時差を考えてみましょう。

東京は東経135度、ホノルルは西経150度に位置します。

経度1度につき時差が約4分変わるため、15度の差は約1時間になります。

この計算では、東京とホノルルの時差は、以下の計算式により19時間となり、ホノルルは東京より19時間遅れているということになります。

135 – (-150) ÷ 15 = 19時間

日付変更線が東京とホノルルの間にあるとはいえ、これは日付の変更に関連するものであり、直接的な時差とは異なります。

国際日付変更線が設けられた理由

国際日付変更線の設置背景には、マゼランの世界一周航海が深く関わっています。

大航海時代

1519年、マゼラン率いる艦隊がスペインから出航し、西方向に地球を一周する航海に出ました。

彼らは北極を上から見下ろすと時計回り方向に航海していたのです。

1522年にスペインへ戻った際、マゼランの艦隊は航海日誌の日付がスペインの現地時間より一日早いことに気づきました。

これは、地球を西方向に進むと、自転の方向に反して進むため、日の出、南天、日の入りの時間が出発地点より遅くなるためです。

地球を一周した結果、時間の遅れが累積し、日誌に記された日数が実際より一日少なくなっていたのです。

逆に、東方向に地球を一周すると、一日分多くなります。

この時間のずれを解決するために、国際日付変更線が設定されました。

この線を東から西に渡る際は日付を一日遅らせ、西から東に渡る際は日付を進めることになります。

国際日付変更線の存在は、地球が自転するために生じる日の出から日の入りまでの時間差を調整する必要があるためです。

国際日付変更線が曲がっている理由について

国際日付変更線が直線でなく曲がっているのは、特定地域での混乱を防ぐためです。

この線が陸地を通ると、東西で日付が異なり、混乱が起こる可能性があります。

本来は東経180度の経線に沿っているはずのこの線は、島や陸地を避けるために調整されており、その結果、ジグザグやコの字の形をしています

この線を越えるということは、日付の変更と共に新たな一日が始まるという意味があります。

世界で一番早く新しい一日が始まる国について

世界で最も早く新しい一日を迎えるのはキリバス共和国です。

元々、キリバスは日付変更線を横切る形でありましたが、日付の分割による不便さを解消するため、1995年に同国の東側へ日付変更線を移動させました。

これによりキリバスは世界で最も早い日の出を迎える国の一つになりました。

また、サモアも2011年に日付変更線を東側へ移動させた結果、かつては世界で最も遅い日の入りを迎える国でしたが、現在は日の出が早い国の一つとなっています。

国際日付変更線の変更は可能か?

経度180度近くに位置する国々は、国際日付変更線を東側か西側のどちらの日付を使用するかを自由に決めることができます。

国によって日付が変更されると、それに伴い日付変更線の位置も変更されることになります。

日付変更線はどのようにして決まったのか?

日付変更線は1884年、アメリカのワシントンD.C.で開催された国際子午線会議で決定されました。

この会議には主に欧米諸国から25の国々が代表を派遣して参加しました。

会議では、イギリスのグリニッジ天文台を経度0度の基準として採用することが決まりました。

当時の船舶は、約70%がイギリス製の海図を利用しており、これらの海図はグリニッジ子午線を基準にしていました。

この背景から、日付変更線はグリニッジ子午線から等距離に位置し、陸地の少ない太平洋上の経度180度が選ばれたのです。

まとめ

国際日付変更線の存在意義、位置、そしてその独特な形状について理解を深めることができました。

日付変更線は、地球の自転と時差の調整のために必要なものであり、マゼランの航海や国際子午線会議など、歴史的な背景にも深く根ざしています。

太平洋上の経度180度に設定されたこの線は、地理的な特性や国際的な合意によって、その形を変えることも可能です。

世界各国が異なる時間帯に生活する現代において、この線が国際的な時刻調整の要として機能していることを改めて認識することが重要です。

海外旅行や国際的なビジネスを行う際には、この日付変更線の知識が必要不可欠となります。

日付変更線は、私たちの生活において目に見えないながらも重要な役割を果たしているのです。